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序章
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XI
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序章

辞書を引けば、「他のものに頼って存在すること」と書いてある。だが、そんな説明では足りぬほど、「依存」というのは、切実なものだ。

私はもともと「依存」というものに、興味があった。

興味、という表現が正確かどうかは分からない。もしかすると執着だったかもしれないし、あるいは恐怖だったかもしれない。

いずれにせよ、その言葉は私の中で長い間、未消化のまま居座っていた。咀嚼しようとするたびに形を変え、理解したと思った瞬間にまた遠のいた。だから書いた。書くことで、無理やりにでも捕まえようとしたのだろう。

書いているうちに分かったのは、依存とは弱さでも強さでもないということだ。それはもっと手前にある、根のようなものだ。植物が土に根を張るように、人は何かに根を張って生きている。愛に根を張る者もいれば、憎しみに根を張る者もいる。不安に根を張り、それを養分として生き延びる者もいる。根の張り方は人それぞれだが、根を持たずに立っている人間を、私はまだ見たことがない。

1 序章

そして、依存には二つの顔がある。

安堵が生む依存と、不安が生む依存だ。前者は穏やかで、気づきにくい。満たされているがゆえに手放せない。そこにいると自分でいられる気がするから、離れることを考えない。後者はもっと切迫している。失えば自分が崩れると知っているから、縋る。縋ることで相手を傷つけていると知っていても、やめられない。どちらも依存だ。どちらも、生の形だ。そしてどちらも——ある日、音もなく、誰かを壊す。

もっとも、依存はそこに留まらないこともある。不安を消してくれる何かに縋りつづけるうち、人はいつしかその「何か」を必要とすることをやめ、ただ傍にいたいと思うようになる。依存が愛情に変わった、と言えば聞こえはいい。だが正確ではない。依存は消えたのではなく、姿を変えただけだ。根はそのままに、花だけが咲いた——そう言うほうが、近いかもしれない。

依存している者は、たいてい依存していると思っていない。それを愛と呼び、優しさと呼び、絆と呼ぶ。名前を変えるたびに、依存は正当化され、深くなり、やがて本人の意思とは無関係に動き始める。気づいた時には、もはや自分のものではなくなっている。そういうものが、人の内側にはある。

2 序章

人はいつから、それを「悪いもの」だと決めたのだろう。誰かを必要とすること、何かに縋ること、それ無しでは夜を越えられないほど誰かの存在が大きくなること。そのすべてに、罪の名前をつけることが、本当に正しいのか。

この物語を読む人の心には、「善」と「悪」が生まれるだろう。だが、最も恐ろしい問いは、そこではない。

あなたの中にある依存は、誰かを傷つけているか。それとも、誰かを生かしているか。

どうか、読みながら考えてほしい。裁こうとはしなくていい。ただ呆然と眺めるだけでいい。

他人の物語として読みながら、ふとした瞬間に、それが自分の物語へと変わる瞬間を、見つけてほしい。

3 序章
序章

辞書を引けば、「他のものに頼って存在すること」と書いてある。だが、そんな説明では足りぬほど、「依存」というのは、切実なものだ。

私はもともと「依存」というものに、興味があった。

興味、という表現が正確かどうかは分からない。もしかすると執着だったかもしれないし、あるいは恐怖だったかもしれない。

いずれにせよ、その言葉は私の中で長い間、未消化のまま居座っていた。咀嚼しようとするたびに形を変え、理解したと思った瞬間にまた遠のいた。だから書いた。書くことで、無理やりにでも捕まえようとしたのだろう。

1 序章

書いているうちに分かったのは、依存とは弱さでも強さでもないということだ。それはもっと手前にある、根のようなものだ。植物が土に根を張るように、人は何かに根を張って生きている。愛に根を張る者もいれば、憎しみに根を張る者もいる。不安に根を張り、それを養分として生き延びる者もいる。根の張り方は人それぞれだが、根を持たずに立っている人間を、私はまだ見たことがない。

そして、依存には二つの顔がある。

安堵が生む依存と、不安が生む依存だ。前者は穏やかで、気づきにくい。満たされているがゆえに手放せない。そこにいると自分でいられる気がするから、離れることを考えない。後者はもっと切迫している。失えば自分が崩れると知っているから、縋る。縋ることで相手を傷つけていると知っていても、やめられない。どちらも依存だ。どちらも、生の形だ。そしてどちらも——ある日、音もなく、誰かを壊す。

2 序章

もっとも、依存はそこに留まらないこともある。不安を消してくれる何かに縋りつづけるうち、人はいつしかその「何か」を必要とすることをやめ、ただ傍にいたいと思うようになる。依存が愛情に変わった、と言えば聞こえはいい。だが正確ではない。依存は消えたのではなく、姿を変えただけだ。根はそのままに、花だけが咲いた——そう言うほうが、近いかもしれない。

依存している者は、たいてい依存していると思っていない。それを愛と呼び、優しさと呼び、絆と呼ぶ。名前を変えるたびに、依存は正当化され、深くなり、やがて本人の意思とは無関係に動き始める。気づいた時には、もはや自分のものではなくなっている。そういうものが、人の内側にはある。

人はいつから、それを「悪いもの」だと決めたのだろう。誰かを必要とすること、何かに縋ること、それ無しでは夜を越えられないほど誰かの存在が大きくなること。そのすべてに、罪の名前をつけることが、本当に正しいのか。

3 序章

この物語を読む人の心には、「善」と「悪」が生まれるだろう。だが、最も恐ろしい問いは、そこではない。

あなたの中にある依存は、誰かを傷つけているか。それとも、誰かを生かしているか。

どうか、読みながら考えてほしい。裁こうとはしなくていい。ただ呆然と眺めるだけでいい。

他人の物語として読みながら、ふとした瞬間に、それが自分の物語へと変わる瞬間を、見つけてほしい。

4 序章
火燐

人が誰かを憎む時、そこには必ず、愛していたものの残骸がある。

怒りとは悲しみの、憎しみとは喪失の、それぞれ別の名前に過ぎない。善意と悪意の境界は思いのほか薄く、人は気づかぬうちにその線を踏み越える。踏み越えたことにすら、気づかないまま。

傷は人を動かす。時に優しさへ、時に破壊へ。どちらへ向かうかは、その人が何を失ったかではなく、何を信じたかによって決まる——そう、私は思っている。

憎しみに必要なのは愛である。沢渡恭子には、それが分かっていた。

1 火燐
火燐

人が誰かを憎む時、そこには必ず、愛していたものの残骸がある。

怒りとは悲しみの、憎しみとは喪失の、それぞれ別の名前に過ぎない。善意と悪意の境界は思いのほか薄く、人は気づかぬうちにその線を踏み越える。踏み越えたことにすら、気づかないまま。

傷は人を動かす。時に優しさへ、時に破壊へ。どちらへ向かうかは、その人が何を失ったかではなく、何を信じたかによって決まる——そう、私は思っている。

憎しみに必要なのは愛である。沢渡恭子には、それが分かっていた。

1 火燐